ロードレースみるひと

ロードレース観戦ガイドのブログ

「推し」について、うだうだ語る。

 

今回はいつものロードレースにまつわる情報ではなくて、ロードレースにおける、僕の「推し」について、話してみようと思う。

 

あ、その前にいきなり脱線するが、僕はロードレースと同じくらい読書も好きなんだけど、どのくらい好きかというと、主に小説中心に年間で100冊読むのを目標にしてる。だいたい毎年そのくらい読んでる程度には読書家なので、文章のうまい人には憧れる。そのうち小説についてのブログを書き始めるかもしれない。そんなことないか。笑

で、このブログは「なるべくニュートラルに簡素に情報提供したい」と考えて、物語のような情緒的な表現は避けて無味無臭のテキストを心がけてる。情報をコンパクトに伝えるニュースのような、或いは会議用のレジュメのようなものを想定しているのだが、今回については情報提供じゃないので、ちょっと書き方を変えてみようかな、と。まだ試行錯誤してるので、途中でキャラ変わってしまったらごめんね。笑

 

ということで、愛読する中島らものエッセイ風にでもしてみようかな。そういえば、自分の一人称を「僕」にしてるのは、らもさんのマネなんだ。ちなみに敬愛する沢木耕太郎氏の真似でもある。混ざっちゃうかもね。どうでもいいか。
 

 

さて、戯言はともかく、「推し」について、である。

 

ロードレースについては、基本的にほぼすべての選手とチームに対して僕は何かしらのリスペクトを持っている。こんな過酷な競技に、時に文字通り「命を懸けて」いる男たちには敬意しかない。もちろん、男というのは言葉の綾で女もリスペクトしてる。それでも、あえて、一人だけ好きな選手をあげろと言われたら、迷わずに

「ファビオ・ヤコブセン」と答える。

もちろん、推しになったきっかけは「あの事故」だ。

 

2020年の8月、ツール・ド・ポローニュのファーストステージ。下り基調のゴールで80km/hを超えてスプリントする集団から押し出され、バリケードに激突した選手がいた。

ショックだった。

もちろん、それまでにもいくつも落車を見てきたし、大怪我を負う選手も知ってたし、時に取り返しのつかない事態になることも頭ではわかっていた。バリケードに顔から突っ込んだ男はドクターヘリで救急搬送されて意識不明になった。
それから、ファビオ・ヤコブセンのことが僕の頭から離れなくなった。その後の容態は? ヤコブセンってどんな選手? 事故はなぜ起きた? それまでは「スプリントが強いイキのいいオランダ王者の若者」程度の知識しかなかった彼のことを、僕はもっと知らないといけない。ほとんど強迫観念に捕らわれるように彼の情報を探して、彼のことを知れば知るほど、彼の魅力に惹かれていった。いや、惚れた、というほうが正しい。

 

その後のニュースを追って知ったこと。彼は三日間の昏睡状態から無事に意識を取り戻し、何度も機能回復のための手術を行って少しづつ顔や声を取り戻し、退院しても重度の脳震盪で安静状態が続く彼を、恋人は赤ん坊の世話をするように支え続けた。たとえレースに戻れなくても、彼なりの幸せを掴んでほしいと願ってもみた。だって、レース復帰なんて簡単じゃないもの。ちょっとした怪我でさえ(骨折とかをちょっとした怪我と言うのもなんだが)以前のコンディションに戻れない選手もいっぱいいたし、どれだけ大変なのかは想像に難くない。何よりも、体より心の状態を心配した。時速80kmで体が投げ出される恐怖。集中治療室でじっと横たわっている絶望感。レースに戻れるんだろうか、その前に日常生活がおくれるのか。彼がどれだけ苦しんだのか、レースに戻るのにどれだけの勇気を必要とするのか。ああ、やっぱり僕にはそれほどの困難は想像できない。

懸命なリハビリののち、わずか4ヶ月後にはバイクに乗り始めトレーニングを開始した姿を見ても、記者会見で「レースに戻る」と力強く宣言してるのを聞いても、どこか非現実的に感じられたけど、時間がかかっても彼が復活することを信じて応援しようと思った。
 
ただ、彼にはいくつか奇跡的な幸運もあったとも言えた。衝突した時にコミッセールのおじさんがクッションになったこと(おじさんは何本も肋骨を折るはめになったけど)と、同僚のフロリアン・セネシャルが現場で適切な処置をしてくれたことで命を失わずにすみ、顔の大部分がぐしゃぐしゃになりながら失明や脳損傷に至らなかったことと、事故の瞬間の記憶がないことが、レース復帰を可能にしたようだから。
彼のリハビリ中も給与を支払い家族も含めてサポートしたチーム・クイックステップを僕も「ウルフパック」と勝手に親しみを込めて呼ぶようになり、「ヤコブセンは俺の息子だ」と言って身内のように可愛がるGMのルフェーブル氏は「辛口やり手爺さん」から「男気のあるボス」に認識を改めた。事故のレース、ツール・ド・ポローニュのステージ4でヤコブセンのゼッケンを掲げて勝利して泣き崩れたレムコ・エヴェネプールは熱烈なファンになったし、命の恩人のチームメイトのセネシャルには抱かれてもいいと思った。あの惨劇の中、いち早くバリケードの向こう側に吹っ飛んだヤコブセンに駆け寄って、自身の血で窒息しかけているところを助けた咄嗟の判断と行動力は、とても真似できるものではない。
 
 
迎えた4月のツアー・オブ・ターキー。彼の復帰レースはわずか8ヶ月後。その回復力と精神力は驚き以外の何物でもない。チームバスで嬉しそうにしているヤコブセンの笑顔を見て、ようやくレースに復帰することが現実に感じられた。でも彼の笑顔が少しぎこちないのは、まだレースを走る恐怖があるのか、それともお尻から顔に移植した皮膚がまだなじめてないからかな。彼を守るように走るチームメイトたち。声を掛けたり肩を叩いたり、一緒に走っていた全ての選手が彼の復帰を歓迎していた。あんなに幸福感に包まれたプロトンを見たことはない。いつもは殺伐とした空気さえ流れる厳しい勝負の世界だから。
 

今後ロードレースを見続ける限り、僕はこのレースのときに味わった気持ちは忘れないと思う。翌日はウルフパックの悩めるエース、カヴェンディッシュが3年ぶりの勝利でヤコブセンを祝福。ハグする二人を見てカヴも大好きになった。カヴはその後3連勝し、しばらく続いていた不振を払拭するような活躍を見せたのは、ヤコブセンと一緒に走った経験がきっかけになったのは間違いないはずだ。チームではスプリントのエースを争う二人はなかなか一緒に走ることはなかったけど、特別な友情で結ばれているように感じるし、ツールでステージ優勝した後の二人の会話でもらい泣きしちゃった。

ヤコブセン、ありがとう。

 

 

それからのヤコブセンの活躍は、ロードレースファンなら知ってるだろう。彼は「悲劇の人」から「奇跡の人」になった。ターキーの3ヶ月後、ツール・ド・ワロニーで復帰後初勝利をあげ(その時の笑顔の写真はスマホの待ち受けにした)、さらにそのひと月後にはブエルタで大暴れしポイント賞をとり(今の待ち受け画面はこれ)、今年はツール・ド・フランスのステージ優勝を含む12勝をあげ、欧州選手権の王者になった。まだ26歳の若者の前途は、徹夜明けに見る太陽くらい眩しい。彼の復活劇は、彼自身と家族とチームと、もっと云えばロードレース界とフルーネウェーヘンにも少なくない幸せをもたらしたのだ。

 

ヤコブセンの走る姿は美しい。

彼のフェアでクリーンなスプリントが好きだ。

自信に溢れてるように見えるのは、悟りの境地に至ったのか。

 

どうしてあの時、彼の事故にそこまで心が揺れたのか。しばらくして気づいたことだけど、その2年前に僕自身がロードバイクで転倒し救急搬送された経験があったからだと思った。ヤコブセンと比較したらおこがましいけど、たぶん自分とちょっと重ねて他人事に思えなかったのかも。鎖骨と肋骨2本の骨折、気胸と外傷性くも膜下出血で、人生ではじめて手術を受けて、およそ2週間入院した。僕もそれでもロードバイクに乗るのを辞めようとは思わなかったから、どうしたら妻や家族にロードバイクに乗ることを許してもらえるかと、病院のベッドで考えていた。

 

ブログをはじめてもうすぐ一年、ロードレースの中の僕の「推し」を書いてみた。

読んでくれた皆さん、ありがとう。

 

そんなこんなで、今年もお世話になりました。

来年も、どうぞよしなに。

 

 

 2022.12.30 jam ride

 

 

 

 

 

*少しだけ補足

もし、ヤコブセンのことをあまり知らなくて興味を持った方がいたら、ちょっと覗いてみてください。

 

◎事故後のインタビュー

 

◎復帰レースになったツアー・オブ・ターキーの記事


◎ツールを勝利したカヴを祝福するヤコブセン

 

◎プロポーズしたヤコブセン