ロードレースみるひと

ロードレース観戦ガイドのブログ

ピノについての記憶。

 

二日前の夜中に、ツイッターを開いたら、グルパマFDJのアカウントにティボー・ピノの写真があった。フランス語なのでよくわかんないけど不穏さを感じて翻訳したら、《ピノが2023年でキャリアを終える》という発表だった─

 

今回は、最後のシーズンを迎える彼とその仲間について、話してみようと思う。

 

僕がロードレースを観戦するようになって、ファンになった2人目の選手は、ダヴィド・ゴデュだ。そのきっかけは忘れもしない、2019年のツール・ド・フランスのstage14。僕がレースを通して見るようになって2回目のツール。見せ場たっぷりの超級山岳トゥールマレー峠で、劇的な優勝を遂げたピノ歓喜のゴール。それよりも僕の目が釘付けになったのはピノの前でアシストする細い華奢な若者で、それがゴデュだった。そうなんです、アシスト大好物なんです

それからゴデュに興味が湧いて、2年前にプロデビューした当時は最年少の選手だったとか、自転車選手で珍しくメガネ男子なのはゲーマーだからだとか、いつもピノの横で笑顔でじゃれてる、小さいやせっぽちの少年のような選手を応援しようと思ったのだ。そんなキャラも魅力だったけど、あの時の山岳で屈強な男たちの先頭をぐいぐい牽いて、ライバルチームのエースたちを振り落としていく姿は、とにかくカッコよかった。ツール・ド・フランスにおいて大好物のシーンのひとつとして、僕の脳裏に深く深く焼き付けられてる。

 

 

そのレースに至る背景も、僕が知る限りにおいて記しておいたほうがいいかな。

ツール・ド・フランスというのは、巨大な存在だ。国をあげたスポーツイベントであり、お祭りであり、ビッグビジネスでもある。お互いに侵略という歴史を繰り返してきたヨーロッパでは、ある種の戦争のような響きすら感じたりもする。我々日本人が感じる以上に、レース以上の意味合いを持っているのだろうと思う。

そのツールが開催されるフランスでは、1985年のベルナール・イノー以来フランス人の総合優勝者はいない。1960年代〜1985年の25年のうち15回もフランス人が勝っているのに、それから35年以上も勝者がいないことは、もはや『悲願』を通り越して『呪い』とさえ言われる。だからフランス籍のワールドチームには特別な期待が伸し掛る。当時2019年はAG2RグルパマFDJのふたつで、AG2Rにはツールの表彰台に2度登ったロマン・バルデというフランス人クライマーがいて、フランス国旗を模したジャージで走るグルパマFDJにはティボー・ピノがいた。3週間もの間、彼らは沿道からの国民の声援を一身に受けてフランス中を走るのだ。その膨大な期待は、ひとつ間違うと暴力的なほどの圧力になる。

 

ティボー・ピノは、2010年にグルパマFDJでデビューしてからずっとチーム一筋で過ごしてきた。2014年にツールで総合3位に入りマイヨブランを獲得すると、当時24歳の若者にはフランス中の期待が集まった。動物好きの心優しい若者には、喜びだけでなく戸惑いや挫折もあったはずだ。続いて出場した2016年、2017年はリタイアに終わり、おそらく辛辣で有名なフランスメディアにも散々叩かれたのではないだろうか。2018年はとうとうツールの出場をやめてジロとブエルタに出場し、ブエルタでは総合6位になる。のびのびと走れた彼は、その年の暮れのビッグレース、モニュメントのイル・ロンバルディアで優勝を遂げた。強いピノが帰ってきた!フランスはまた彼に期待し、彼も自信を取り戻した、はずだった。

そして迎えた2019年のツールは、異常ともいえる熱狂をフランスに呼び起こす。「マイヨジョーヌ誕生100周年」を記念する大会で、過去の偉大なマイヨジョーヌ着用者が連日登壇するなど様々な趣向を凝らして盛り上げ、そんな中フランスの国中を沸騰させたのはバルデでもピノでもなく、ジュリアン・アラフィリップだった。第3ステージの終盤の山岳でアタックしたアラフィリップは、残り10km以上を独走しマイヨジョーヌに袖を通すと『マイヨジョーヌ・マジック』を連発。「フランス人がマイヨジョーヌを着るとこんなに盛り上がるのか」と衝撃を受けたあの時の観客の様子は、昨年のデンマークでの熱狂ぶりよりも凄まじかった。そしてバルデは総合成績は遅れたものの山岳賞ジャージを着用し、ピノも総合上位で表彰台を狙う位置にいて、アラフィリップはフランス革命記念日も黄色のジャージで過ごし、英雄そのものだった。

 

そんな盛り上がりの中でマクロン大統領も迎えた山岳決戦が、stage14だったのだ。

序盤にニバリ、モホリッチ、マルタンを含む強力な逃げグループが出来ると、追いかけるメイン集団では中盤の1級山岳で総合成績から遅れたチームがペースをあげて、集団の絞り込みをはかる。バルデ、アダム・イエーツの総合上位につけている選手も脱落していくほどのペースだ。サバイバル感が漂う過酷なステージは、残り30kmから超級山岳トゥールマレーの山頂を目指す戦いが始まる。懸命に逃げていくグループを追い続けるメイン集団では次々に有力選手が脱落していき、なおもペースをあげて残り10kmで逃げグループを吸収。その時アタックしたフランス王者バルギルを、懸命に追い始めた華奢なアシストがゴデュだった。残り5kmでバルギルを捕まえ、自らアタックまで見せてユンボのアシストをつぶし、役割を終えて下がっていくゴデュ。最後は5-6人になった先頭集団からピノがアタックし、単独で山頂にたどり着いて歓喜のガッツポーズを見せた。ピノのステージ優勝と総合ジャンプアップを呼び寄せたのは、間違いなくゴデュの力強い牽引だった。2位にはマイヨジョーヌのアラフィリップが入り、フランスの熱狂はその日頂点に達した。

 

しかし、優勝候補のひとりとして一時は表彰台圏内を走っていたピノは、その後のstage17で落車し膝を負傷。stage19で無念のリタイアをした。チームメイトに肩を支えられてバイクを降り、泣きながらチームカーに乗った姿は、忘れられない。その後のツールではエースのピノを欠いたチームのために、奮起するゴデュの姿を見続けた。彼は最終的に総合13位で終え、アシストとして挑んだにしては十分な成績を残した。一方ピノはこのstage14での勝利後、昨年のツアー・オブ・ジ・アルプスでステージ優勝するまで、3年間も勝利から遠ざかってしまう。

今思うと、あの時にピノからゴデュにエースを託されていたようにも感じる。昨年のツールは先輩のピノにアシストされたゴデュは総合4位でレースを終えた。エースとして成長した後輩を眼の前で見れたことは、あの時以来苦しみ続けたピノにとって頼もしく嬉しかったに違いない。その時に、ピノは引退を決意していてもおかしくない、とさえ想像している。ツアー・オブ・ジ・アルプスではstage4で惜しくも優勝を逃して、レース後のインタビューでは言葉が詰まって答えられなくなり、涙ぐんで去っていくシーンは強く印象に残った。翌日のstage5で優勝した時は、やっと少し振り切れたとも思えたけど、彼の苦悩は終わることはなかったようだ。ピノは今年のグランツールはジロへの出走が発表されている。ツールを走るかどうかは未定だ。

 

 

ロードレースを見ていて、悲しくて涙ぐんだのは、あのリタイアしたときのピノの姿が初めてだった。フランス中を熱狂させて歓喜でゴールした選手が、そのわずか5日後に泣きながらバイクを降りてチームカーに乗り込む。それは、レースの楽しさと同時に厳しさを、彼らの抱える孤独やプレッシャーを、僕に教えてくれたシーンだった。

ロードレースは、楽しくて、苦しい。だから美しい。

ピノ、ありがとう。

 

仲良しのヤギたちと遊んでるあなたも大好きだけど、太陽が照りつけるアルプスで大勢の観客の声援を受けながらダンシングで登っていくあなたも、もう少し見せてほしい。

 

ゴデュ、今年のツールでは去年よりも輝く姿を、大好きな先輩に見せなきゃね。

 

 

 2023.1.14 jam ride

 

 

 

*少しだけ補足

2019年TDF stage14で優勝したピノを牽引したゴデュの勇姿、時間は少ないけど伝わるかな。

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