親愛なる『ウィランガヒルの王様』へ。
日本では今週末に今年最大の寒波が来るとニュースは伝えてくるけれど、地球の向こう側では、ロードレースで胸を熱くする季節がやってきた。1月17日から始まった開放感に溢れるオーストラリアのビッグレース。毎年楽しみにしているシーズン開幕戦で、いつも主役だった彼はいない ─
今回は、昨年で引退したリッチー・ポートのことを話してみようと思う。
最強でも最速でもないけれど、“最熱”の男。僕がロードレースを観戦するようになって、最初にファンになった選手。彼はそれ以来、ずっと僕のアイドルであり続けた。だから、2020年ツールのstage20のタイムトライアルをファンアールトよりも早い3位で駆け抜けて逆転で掴んだ総合3位。おそらく世間ではログリッチがポガチャルに大逆転を許した劇的な大会として記憶されていると思うけど、僕にはリッチーが悲願だったパリの表彰台に上がった大会として心に刻んでいる。2年連続骨折リタイアしても諦めずに挑み続けて掴んだ栄誉だから。
誰かがスッと前に出る。別の誰かがそれをつぶす。そして不意に、彼が飛び出す。精鋭たちの先頭グループは、一気に緊張感に包まれる。が、それすらもわずかな時間だ。その男はサドルから腰を浮かすと、体を揺すりながら加速する。数人が必死に追いすがる。逃がしてはいけないとわかっているから。それでもほとんどの精鋭たちは離れてしまう。逃がしてはいけないとわかっていても、追いつけない速度だから。
フラムルージュが見えてくる。ゴールはこの坂の頂上だ。あの男は、そんなにも早くにアタックをしていたのだ。その上り坂の残り1kmはどこよりも長く果てしない。彼らはここまでの6つのステージで800km近くペダルを漕いでここまできたのだ。容赦のない日差しが照りつけ、大腿筋には乳酸が溜まっている。汗が飛び散る。
フラムルージュを抜けていく。
リズミカルなダンシングは、
もう一段階加速して、
ギアは重いアウターのまま、
ジャージを胸元まではだけて、
心拍数は最大に跳ね上がり、
後ろの息遣いは遠ざかっていく。
もっと速く。もっと踏め。
駆け引きなんか関係ない。
小柄な体がひとまわり大きくなり、
彼とバイクはひとつの生き物のようになる。
掴みかかりそうな観客たちの興奮と叫び声、
その間を切り裂くように駆け抜けて、
カーブの出口で彼は一瞬振り向く。
追いかけてくるライバルを確かめる。
もう、誰もいない。
それでも力を緩めることなく、
先頭でゲートをくぐり抜けるまで、
彼はずっと踊り続ける。
まるで腰を下ろすサドルがあることを
忘れてしまったように。
両脇でバリケードを叩いてる人々を見て、
彼は口元に、少しだけ笑みを浮かべる。
そんなふうにして、6年もの間ウィランガヒルを真っ先に登った彼は『ウィランガヒルの王様』と呼ばれるようになった。わかっていても止められない無慈悲なアタック。それは、彼の“熱情”なのだ。常にチャレンジする勇気と、全ての力を振り絞り誰にも負けないという意地だ。ただ勝つのではなく、圧倒するのだ。彼のヒルクライムからは、その激しい熱さが伝わる。
『ウィランガヒルの王様』は、彼の一面に過ぎない。リッチーで一番印象に残るシーンはやっぱり、ツールでフルームをアシストした姿だ。あのシーンは、ツール・ド・フランスにラルプ・デュエズがある限り、いつまでも語り継がれるはずだ。その激アツのお話は、また別の機会に…。
ロードレースは“熱い”。勝利のために全てを捧げる、その意味を彼に教わった。リッチー・ポートはそのキャリアの大半をアシストとして過ごした選手だ。たとえばフルームのマイヨジョーヌのためにペナルティ覚悟で尽くした。彼の“勝利”とは、チームのため。僕がロードレースの“熱さ”を思う時、まず思い浮かべるのはリッチーなんだ。
リッチー、ありがとう。
あなたがいないツアー・ダウンアンダーは、なんだか少し寂しいよ。
2023.1.19 jam ride
*少しだけ補足
ウィランガヒルのポートの7勝シーンが全て入っているツアーダウンアンダー公式チャンネルの特集。