正直に告白する。僕はタデイ・ポガチャルという存在は好きではない。誤解してほしくないのだが、決して“嫌い”なのではない。適切な言葉が見つからないのだが敢えて探すと、彼に対しての感情は好き嫌いでなく「畏怖」である。痛快さと同時に疎ましさも感じる「厄介な存在」だと。
今回はいつものような情報分析や考察ではなく、感情的な独白です。ポガチャルにも彼のファンにも逆にアンチの方にも他意はありません。僕は彼を選手としても人としてもリスペクトしています。ファンが非常に多い選手なので内容には最大限配慮したかったのに上手くできなくて、自分の文章力の無さに何度も嫌気が差しながら様々な自戒も込めて書いてます。
─ 何故か ─ やはり今年のツールの前に、彼のことを書いておかなければいけないと思っているからです。彼の抱える大いなる“矛盾”について。彼だけが持ち得る“存在価値”について。うまくまとまらず、見切りで記事をアップしますがお許しください。
ポガチャルとは何者なのか
あなたは彼のことをどう捉えているでしょうか。
現役ではサイクルロードレース界で最も影響力のある選手。例えられる形容詞は「宇宙人」や「怪物」。最強チームの絶対的エースとして誰よりも強く最もお金を稼ぐライダー。爽やかなルックスに明るい性格を兼ね備え知名度も人気もトップクラス。とりわけ子供からの人気は絶大。パートナーは同郷の女子プロサイクリストで、一途な姿も好感度が高い。レース中はもちろん自転車を降りてもユーモアやインテリジェンスを感じさせる、どこを切り取っても欠点がなく、若くして全てを持ち得た全方位的に優れたスーパースター。・・・大なり小なり似たような印象を持つ方は少なくないと思慮します。
これまで僕はそんな彼を現在のロードレース界最大の“ヒーロー(英雄)”もしくは“ヒール(悪役)”という捉え方をしていました。大雑把に言ってしまえば“ファン”か“アンチ”なのかによって変わるのでしょう。レース成績でいえば誰よりも優れた成績をおさめているスーパースターであることに全く異論はありません。ただ、彼を素直に応援出来なかったのは、唯一といえる欠点のためである。
それは彼が“強過ぎる”こと。強い選手にはそれだけ“アンチ”も生じやすいが、彼の強さはそのレベルではない。強過ぎる弊害の本質として彼のレースはつまらなくなる可能性を常に秘めている。例えば、80kmも独走して勝つ、他の選手たちは2位争いに終止する、しかも2位以下に絶望的な大差をつける、ステージも総合もクラシックもあらゆるレースに勝利する。雑な例え話で恐縮だが、結末を知ってしまったミステリーほど興醒めするものはない。予定調和はロードレースにとっては敵である。
僕がポガチャルを全面的に応援するのに抵抗感を持つきっかけは、彼が初めて出場した2020年ツールのstage20でのITTによる大逆転劇だ。僕はログリッチを熱心に応援していたから、物凄い衝撃を受け愕然とした。それはポガチャルに対してある種の悪感情に結びついた。ポガチャルが勝てば勝つほど、強ければ強いほど、彼への敬意と同時に失望を味わう。実は同じような感情を持つ人も多いと推察している。
しかし、あれから時が経ち、ポガチャルへの認識は少しづつ変わった。彼はヒーローでもヒールでもなく、ロードレースの“変革者”なのではないだろうか。急激に変動する時代に現れた過去に例のない存在、新しい時代のレースを先頭で創造していく人物なのだと。世の常として、新しいものを作るには過去の膨大な遺産の破壊が伴う。100年以上も積み重ねてきた歴史や伝統、概念や常識。ポガチャルはその成績とスタイルで、これまで多くのレース界の常識をぶち壊してきた。僕はそういう彼が持つ“破壊力”に抵抗があったのだと思う。それは痛みでもあったから。
ロードレース界には“変革”が求められている。古くから伝統ある競技であることは、逆に少し時代遅れになっている部分が存在する。特に長時間であることと一見変化の乏しい競技特性は、現代のコスパやタイパ重視の価値観にそぐわないし、初心者には分かりにくい。「世界一過酷」なことを競技の美点として伝えるような、大きな怪我と隣り合わせの危険なスポーツでもある。チームのスポンサーは安定せず、トップ選手以外は様々な犠牲に見合う対価を得ているとは思えない。当事者もファンも少なからず新しいロードレース界を求めている。
だからポガチャルのような“異物”が現れた。彼に追随して次々にニュータイプの選手が出てくる。彼らが中心になる新勢力が次世代のロードレースを作り上げていく。これは夢物語ではなく、すでに兆候は現れている。
ロードレースの新時代とは
僕自身、観戦歴も浅く偏った知識しか持ち合わせていないので、間違ったことを書いているのかもしれません。なので、ロードレースについてこれからどんな世界になっていくのかなど知る由もありませんが、近年感じている変化や傾向を考察することは新時代についてのヒントにはなるのではないでしょうか。これらの変化は、仮にポガチャルがいなくても起きていた可能性は高いですが、彼の出現によってより進化が加速し拡大されていることは間違いないと考えています。*注)明確なエビデンスは準備できていなくてほぼ主観です。
まずはレースにまつわるあらゆる事象のデータ化。テクノロジーの進化によって各種センサーや分析技術が高度化し、選手の出力(パワー)が数値化、よくも悪くもライダーは能力の全てを丸裸にされる。怪物的なパワーウェイトレイシオを誇るポガチャルの強さのひとつの指標である。レース全体がパワー重視と効率化に促され、トレーニングや準備もチームで管理・共有される。パワーを生み出すエネルギーのために、酸素量や補給による回復も重要なレース戦略である。風洞実験やシミュレーションによって空力に優れたバイクが開発され、ライダーは空気抵抗の少ない効率良いフォームになる。強いチームほどルール化されて徹底し、それらを理想的なやり方でこなせることが一流選手の証になる。その情報を厳密に考えると、例えばポガチャルはA峠を◎分で登るなど予測できればある意味でレース前にすでに勝負は決しているのかもしれない。
次に選手の若年齢化と複合的な脚質のニュータイプの選手の台頭。これは間違いなくポガチャルによって加速化された傾向である。10代でのプロデビュー、デビュー初年度での勝利、20代前半でチームのエースを担う選手が続出している。他のスポーツ界でも◎◎世代という言い方で特定の年齢層に実力者が揃うことがよくあるが、歴史に名を残すレベルの選手が出現すると同年代の選手が刺激されて数多く輩出する現象だ。ポガチャルと同い年にはとんでもない選手が揃う*注1)下記参照。多くのレースが25歳以下の新人賞対象選手がリーダージャージと両方を着る。過去には若手という括りだったU23の年齢層がチームの主力になり、新人がそれより若い10代の選手ということも多い。それに付随して、まだなんら成績を残していない若年層の選手との複数年契約が増えている(いわゆる囲い込み)のも、データ化したロードレースにおいて選手のポテンシャルも数値化されたことと、ワールドチームが下部に育成チームを作ることがUCIでルール化されたことも影響している。有望な若手を自チームの色に染められるし、年棒も抑えられるし、将来的なチーム力向上に有効だからである。ちなみにポガチャルの2歳下だがレムコも2019年にプロデビューした同期である。
レースやコースの画一化。これは必ずしも良い傾向ではない。例えばレース中の粛々と走って距離を稼ぐ単調な時間を嫌う。エンタメとして見ごたえを担保するために主催者が変化のあるコースにする。単純な平坦ステージは大幅に減少し、パンチ力のある急坂をフィニッシュ前に配置したり、途中にも少し手強い山岳を設けたりする。全体がそうなっていくとピュアスプリンターが勝てるレースが減り(登れるスプリンターが増える)、勝利に絡むのは同じ顔ぶれになる。グランツールでも序盤のステージから厳しめのコースが設定されると、総合優勝候補がいきなりリーダージャージを纏うなど、かつては多くの選手に与えられたチャンスは大幅に減少した。ツールで多くのステージでポガチャルが勝つのは、彼の力以外にもポガチャル向きのコースが増えているということも原因のひとつ。この傾向はやや歯止めがかかりつつあるが、この現象が続くと選手はパンチャーとクライマーしかいなくなってしまう。選手の画一化は弊害しかない。チームには勝てる選手が必要とされ、チーム格差にもつながる。UCIポイントによるワールドチーム昇格システムはそれをさらに助長してしまう。“多様性”はなくしてはいけない。
彼に対してファンが求めること
ロードレースの特徴とはなんだろうか。他の競技と比較して“多様性”と“不確実性”がわかりやすい特徴であり、僕はそこを魅力に感じている。脚質や体格や実力に差がある選手が一緒にレースを走り成績を競うのは、ボクシングで例えればフライ級からヘビー級までの世界チャンピオンからデビューしたての4回戦ボーイが同じリングで一斉に戦うくらいの多様性である。天候やコースや展開次第で有利不利が変わり、落車等のトラブルといった不確定要素も含めて、様々な選手に勝つチャンスはある。しかし、ポガチャルがあらゆるレースで勝ってしまうことはロードレースの美点である“多様性”や“不確実性”を破壊している存在にも感じるのだ。もちろん勝利を追い求めるポガチャルの姿勢は選手としては当然であり、何ひとつ彼は悪くない。
物事には限度がある。例えが極端で恐縮だが、大谷が打率が6割を超えてホームランを100本打ったとしたら応援するだろうか。しかもそれで投手として30勝し全てのタイトルを独占したら、競技者としては“厄介な存在”としかいえなくなる。ポガチャルがロードレースで成し遂げているのはそれに近いくらい“やり過ぎ”とも言いたくなる(アンチ目線に感じたらごめんなさい)。ポガチャルはUCIポイントにおいて2位レムコに倍近い点数を稼いでいる。一人でジェイコやアルケアの1チーム分である。
一騎当千。もはや個々のスキルや戦略では抗うことすらままならないレベルに達しているのに、いまだ未完成のまま成長を続けている。どこまでいくのか底が見えない。順調にキャリアを重ねれば、全グランツール総合優勝、ツール5勝クラブの仲間入り、モニュメント全制覇は絵空事ではなく現実的な目標です。伝説の選手メルクスがいた時代からロードレースは洗練され、高度化・専門化して戦略が問われるレベルになり、グランツールとモニュメントの両方を勝てる選手はいなくなりました。ポガチャル以外は。
おそらくポガチャルにはファンを楽しませようという意識はないでしょう。自分自身が心から楽しんでいて、結果的に関係者やファンも楽しくなるとは感じていそうです。彼は常に眩いほどの笑顔である。
毎年のように次々に現れる優秀な選手たちを見ていると、実力でポガチャルに打ち勝つ選手が近い将来現れるのではないかという予感はあります。例えばデルトロ。レムコもまだ進化は止まっていません。彼らがポガチャルと対等な存在になれる時がロードレースの“新時代”になるのだろうと漠然とした期待感を持っています。
結局とりとめのない語りになってしまいましたが、今年のツールで彼がどんなレースをするのか楽しみにしています。時に痛快に、同時に残酷に、呆気にとられたり驚かされたり。それが彼の特徴だから。それがロードレースだから。
*最後にもう一度言いますが、あくまで個人の感想です。
────────
*注1)ポガチャルと同年生まれの主な選手:アルメイダ、ヒルシ、フィリプセン、マクナルティ、ガル、ヘイター、ルビオ、シャンプッサン、グローヴス、メーウス、コーヴィ、ダイネーゼなど。
過去にポガチャルについて記述したブログのリンクです。興味がある方はご一読を。
◎当時のポガチャルとヴィンゲゴーの比較
◎当時のポガチャルとレムコの比較
