ロードレースみるひと

ロードレース観戦ガイドのブログ

ロードレースという競技のリスクとの向き合い方

 

先日ツール・ド・スイスで起きた悲劇について。

事故からおよそ一週間経つが、正直なところ未だに感情も考えも整理がついていない。そのうえで、いまの気持ちを自分なりに書き記しておきたいと思いました。僕自身は浅い知識しかないため、とりとめのない記述になること、一部にセンシティブな内容を含むことは予め記しておきます。

 

 

ロードレースの小説で僕が大好きな『サクリファイス』シリーズ(著者:近藤史恵さん)の中で、ずっと心から消えない場面と言葉がある。『スティグマータ』の中で主人公チカがパリ〜ルーベにも使われるパヴェを走りながら他の選手と会話するシーンだ。

以下一部引用する──

「マジかよ。気が狂ってるな」率直な感想に笑いが漏れた。

「今のはまだマシだよ。これから、もっと荒れた道がある」

伊庭が吐き捨てるように言った。「くそっ、なにが楽しいんだ」

そう、楽しんでいるのは観客で、ぼくたちはその贄(にえ)だ。彼らを楽しませるために、泥だらけになりながら、地獄のような道を走る。

 

 

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贄。僕たち観客が楽しんでいるのは、選手たちの危険なのだろうか?

 

2023年6月16日、一人の自転車選手がレース中の事故で命を失った。

バーレーン・ヴィクトリアスに所属していたジーノ・メーダーが、母国レースであるツール・ド・スイスのstage5でゴール前のダウンヒルで高速走行中、カーブを曲がりきれずにコースを外れて落車、意識不明のまま救急搬送され、懸命の治療と多くの関係者やロードレースファンの願いも虚しく、帰らぬ人となった。まだ26歳だった。

 

今回の悲劇はどうすれば避けることができたのか。例えばジーノがプロテクターをつけていたら命を落とさずに済んだのか。同じ場所で同じように落下したマグナス・シェフィールドは幸いにも深刻な怪我は負わずに済み、治療を受けた病院もすでに退院した。この二人の生死を分けた差はなんなのか、答えられる人はいるのだろうか。“運”なんて曖昧な言葉で済ますつもりはないが、僕にはその差がついた原因はわからない。

今回の事故も不運が重なって起きたものだ。“不運”と言ってしまうのは不謹慎だが、同じ場所で同じように落車したシェフィールドとメーダーに生死を分けた差は、転がり落ちた場所がほんの数メートル違っただけにしか思えない。

 

 

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まず、ロードレースの持つ危険性を考えてみよう。レースから危険性を“完全”に排除することは残念ながら無理である。200kmもの距離の公道をガードすることは非現実的だ。それでも、今だって安全に行うための努力は行っている。荒れた路面状況を補修したり、極端に速度があがりそうな下り道をルートから外したり、危険な箇所には警備員を立たせてホイッスル等を使用し注意喚起をし、スプリント勝負になりそうなゴール付近にバリケードを設け、下り基調のゴールは設定しないようにし、危険箇所ではガードレールやネットで覆ったり(日本では昨年の学生レースでの死亡事故からカーブやスピードが出そうな区間では電柱などに緩衝材を巻くといった処置も行っている)、そういったことは可能な限り実施し、リスクはゼロは無理でも下げる努力は怠ってはいない。

そもそも観客だって、選手からすればリスクだ。選手たちが登っていく横で旗を振り回したり拳を振り回したり危険な位置で併走したり、見ていて苛立つほどだが(落車しても死亡事故にはなりにくいかもだが)、観客を排除すればロードレースは価値が下がるという興行面でのリスクは発生する。

それでも事故は起きる。

 

そもそも落車はなくすことは不可能だろう。自転車は転倒が避けられない乗り物だ。公道ではないトラックレースでさえ落車は頻繁に起きる。だから「落車はする」ことを前提で、擦過傷や打撲についてはある程度諦めて、現実的にできることは、生命に関わる重度の事故を防ぐため(臓器や脊椎を守るため)の改善方法の模索だろう。プロテクター装着を義務化するという声もよく聞く。日本では栗村修氏が数年前から提言しているし、学生レースに出場する石田眞大選手が自ら装着し啓蒙活動を行っているのも有名なことだ。

石田眞大(IshidaMahiro)|note

有効なのであれば積極的に取り入れるべきであり、各種メーカーは装着できるプロテクター開発にも力を入れて欲しい。競馬の騎手が使っているもの、MTBの選手が使っているものなどにもヒントがある。暑さや汗の吸水性といった快適性能の向上は6時間も炎天下で着続けるには必須だし、重さや耐衝撃性能の向上、動きを妨げないもの、課題も多いが義務化されればメーカーも大きな売り上げになるはずだ。もちろん義務化にあたってはUCI等が動かないといけないのだが、選手達が組織だって行動を起こせば運営組織も無視はできないはずだ。

ただ、それでも事故は無くならないだろう。

 

盛んに言われるのは「プロテクターを義務化しよう」「速度の出る下り坂をなくそう」という2点が多いようだ。個人的にはどちらも間違ってはいないが、根本的な解決にはならないと思う。その二つに反対しているのではなく、どちらかといえば賛成するのだが、死亡事故がゼロになるとは思えない。これまで起きた死亡事故はプロテクターを付けていたら防げたのか。下り坂以外では事故は起きていないのか。どちらも、そうではないからだ。

 

リスクをゼロにするには「ロードレースをしないこと」しかない。リスクを避けることが全てを優先するならば、雨が降ったり風が強くなったりしたらレースは全部中止、それこそパヴェで有名なパリ〜ルーベなどは真っ先に廃止しなければいけない。僕たちは、そんなことを望んでいるのだろうか? 例えば、ダウンヒルを排除して且つ集団スプリントにもならないように、全部を登りフィニッシュにすればいい。そうしたらプロサイクリストはクライマーだけになるだろう。多様性というロードレースの魅力は半減する。そもそも公道での集団走行が危ないからレースは全部ズイフトにすればいい。そうしたらエシュロンもなくなるし、リードアウトという戦略やチームワークはなくなるだろう。自転車メーカーは開発を止めるし、メカニックは職を失う。つまり自転車レースは廃れる。現実に存在する観客の熱狂や高揚感は損なわれて、全部ニコ生みたいになるのかもね。言い方は良くないが、リスクを減らすことはレースの魅力が損なわれることと、かなり同義の部分があるのだ。

 

選手たちは、それこそ命がけでレースをしている。命を捨ててもいいと思っているのではなく、そのリスクについて理解した上でレースをしている。つまり覚悟をしている、という意味だ。そんな選手たちに怪我くらいは仕方がないが、命を失うほどのリスクは避けてほしいと諦観者は言う。それはおそらく、単なる責任逃れの詭弁だ。その境界線はどこにあるのか。どこにもない。

 

 

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ここで、少し話を拡げてみよう。

近年、自転車選手の大きな事故で思い出すのは、昨年1月のベルナルと2019年のフルームの事故だ。二人とも生命に関わるほどの大事故で生還したのは奇跡と言ってもいい。それは、レースじゃなくてトレーニング中だろうって? ちょっと待ってくれ。自転車選手はトレーニング中なら死んでもいいと思うのか? そんなことは断じてないはずだ。万が一のリスクすら許容できないならば、選手全員のトレーニングも管理すべきだ。だが、そんなことは果たして可能だろうか。

 

もう少し視点を変えてみよう。

日本では、今年の4月から自転車乗車時はヘルメットの着用が義務付けられた(正確には罰則のない努力義務)。ロードレースにプロテクター装着を義務化するならば、我々が普段自転車に乗る際もヘルメットはもちろん、プロテクター装着を義務化すべきである。ママチャリも当然だ。そんなことは可能だろうか。

先日読んだ記事によると、都内でのヘルメット着用率はわずか5.6%だったらしい。

自転車もヘルメットが「義務」なのに…かぶらない人たちが語った理由 事故に遭った人は今も後遺症に苦しむ:東京新聞 TOKYO Web

もしあなたがロードレースにプロテクター装着を義務化させようと思っているなら、まずは自身も自転車に乗る際はプロテクターは必ず装着しよう。自分は大丈夫だけど選手は危ないから付けろというのは全くナンセンスだ。ふざけないでほしい。彼らは自転車に乗るプロだ。一般人の100倍は上手だ。そんな選手には義務化させて自分たちは装着しないという理由はない。つまり、ロードレースから危険を“排除”するということは、自分たちもヘルメット着用は必須だしプロテクター装着も同様だ。だが実態は義務化されてもヘルメットをつけない。そういうことなのだ。自分は大丈夫だけど、他人は危険。そういう誰もが持つ慢心や驕り、他人にだけ要求する身勝手さ。それがある限り根本的な解決はない。

冒頭で引用した小説で語られる『贄(にえ)』とは、そういう意味でも、とても本質的な部分をついていると思うのだ。当事者目線が欠けている無責任な傲慢さ、というようなもの。

 

我々の日常だって、常に命を失うリスクはある。例えば自動車の運転だって、死の危険はある。それでも我々は自動車を運転する。少しでも危険を減らすために、道路の整備や信号機の設置、ルールの整備(免許制度、飲酒運転やスマホ禁止等も)、シートベルト着用義務、エアバッグや運転支援システムなどを開発し、様々な努力を行っているが死亡事故はなくならないし、死亡事故があるから世の中から自動車を無くそう、とはならない。

僕はロードレースも同じように考えている。レースから危険を排除するための努力は怠らないが、完全なリスク回避など幻想に過ぎないという理解は必要なのだ。

 

我々観戦者にできることはなんだろうか。

声をあげること。選手達を危険から守るために。見なかったことにしたり、悲劇を風化させることは一番やってはいけない。ただし、上から目線で運営組織や関係者にクレームをつけることは違うと思う。間違った正義感による主張は確実にロードレースの衰退を意味する。我々がすべきことは、誰かをターゲットにし悪者を作り上げることではない。できるだけ当事者目線で、想像すること。それがロードレースを観戦する我々にできる精一杯で最大のことなのだと思う。

ロードレースから可能な限りリスクは退けたいと願うが、それはロードレースをなくすことではない。

 

 

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触れるかどうか迷ったが、自転車選手の命に関わることであれば避けるべきではないと思ったので敢えて記載する。

近年はかなりクリーンになったと思うがロードレース界にはドーピングという闇が存在する。命を失ったり健康被害を受けた選手の数は、過去をたどれば落車事故の比ではない。昨年はキンタナがツール期間中のドーピング検査に引っかかり失格処分になってアルケアから契約を解除されてどのチームとも契約ができなかったし、ミゲルアンヘル・ロペスもドーピングとマネーロンダリングの嫌疑で逮捕された医師との関係性が原因でアスタナをクビになって、ヨーロッパのレース界に戻れていない。

そういう意味ではバーレーン・ヴィクトリアスというのは、グレーなチームだ。記憶に新しいところでは、昨年コルブレッリがレース直後に心肺停止し救急搬送された。命には別状はなかったが、心臓疾患の影響で選手生命は絶たれた。その時にドラッグが原因ではないかという噂は流れたし、今年も同様に心臓疾患が理由でハウッスラーが引退したのは単なる偶然なのだろうか。バーレーンから移籍した選手が成績を落とす(直近ではDトゥーンス、トラトニック、ノヴァーク、パドゥンなど)のが多いことも、チームへの嫌疑が常に付きまとう理由でもある。一昨年はツール期間中にチームのホテルに警察がドーピングの捜査に入ったし、昨年も複数のチーム関係者が警察の家宅捜索を受けた。はっきりと“黒”にはなっていないが、ここ1-2年だけで、これだけの噂が流れているチームはバーレーンだけだ。何らかの理由がありそうに感じてしまう。そこへ今回の猫殺しのティベーリの入団である。しかも契約してすぐにレースに出場させてしまった。なんらかの禊があればよかったのに、それもなく、である。チームの運営方針や倫理観に疑問を感じるのは僕だけではないはずだ。

 

その後の週末、すべてのレース関係者が悲しみに暮れる中も、多くのレースが開催された。フランスで、ベルギーで、スロベニアで、イタリアで、事故の起きたスイスでは男子のほかに女子レースも。

ジーノに勝利を捧げたライダーたちは称賛したい。同じスイスのレースを走っていて事故直後にコースの危険性を強く訴えながら家族の前で勝利を捧げたレムコ。ベルギーではヤコブセンが勝利して天を指差した。彼自身も生命の危機に晒されるほどの事故から生還した、誰よりのロードレースの痛みを知るライダーだ。スロベニアではバーレーンのチームメイトのモホリッチが「彼のために勝つ」と宣言しての有言実行。それらを美談にするつもりはないが、彼らなりのジーノへの最大限の敬意は、天国にいるジーノと彼の家族、観る側である我々にもしっかりと届いたと思う。

この週末は各国でナショナル選手権が開催される。レースの数で云えば一年で一番多い週末だ。悲劇を忘れることなく、選手たちの無事を祈らずにはいられない。

 

 

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最後に、ロードレースファンに向けて。

今回の事故には多くの方が心を痛めて、精神的にショックを受けたと思う。もうレースを見たくないならば、無理はしないでほしい。見ないことも選択です。価値観や感じ方は人それぞれだと思うので、正解はありません。

それでも、ジーノ・メーダーという聡明で勇敢な青年がいたこと、彼の笑顔や走りを記憶し続けてほしい。彼はロードレースという競技を愛していた。リスクも含めて。僕はロードレースがなかったら彼を知ることもなかったから、ロードレースには感謝しているし、彼が愛したこの競技をこれからも応援していきたい。

だから、できればあなたもロードレースを嫌いにならないでほしい。

 

結局、結論めいたことは何も言えず、ただ今感じていることを吐露するだけになってしまったけど、『サクリファイス』シリーズからの別の引用で、このブログを締めます。『サヴァイヴ』でチカはパリ〜ルーベを走る。数日前に元チームメイトが亡くなっている。恐怖と不安に押しつぶされそうなチカにチームのエースであるミッコが語りかけるセリフ。──

「もちろん、目的はレースで勝つことだ。でもそれは本当の目標じゃない。いちばん大事なのは生き延びることだ。このビブネンの腹の中で。」

 

 

 

 RIP Gino. We ride with you.

 

 

 

ジーノ・メーダーを忘れないために、彼についての記事をリンクしておきます。

お時間あればこちらもお読みください。ツイッターでも紹介していたもの

 

ジーノ・メーダーの追悼記事(ライダーとしての成績や人柄

www.cyclingnews.com

 

ジーノ・メーダーの友人のジャーナリストが語るエピソード

derailleur.substack.com

 

天国にいるジーノに心からご冥福を祈ります。