セップ・クスが渇望した4秒。
このブログはロードレースにまつわるあれこれで、普段は情報メインですが、今回は僕のパーソナルな「意見表明」です。ロードレース観戦歴も少ない無知なイチ観戦者の、稚拙で感情的な殴り書きです。読む方によっては不快に感じられるかもしれません。予めお断りしておきます。
最初タイトルを「強過ぎたチーム/ユンボの悲劇」にしていたんだけど、「悲劇」と呼ぶほど悲壮感の漂うお話じゃないかなと思って改めた。察しのいい方は、もうわかったかもしれない。そうです、2023年ブエルタでのユンボが直面したエース問題について、です。
状況を覚書程度に簡単にまとめておこう。
ユンボ・ヴィスマは今年のジロでログリッチがマリアローザを、ツールでヴィンゲゴーがマイヨジョーヌを獲得し、その二人をWエースとして揃えてブエルタのマイヨロホを目指していた。グランツールのリーダージャージを同年で全て取ったチームは過去にはなく、達成できれば史上初という偉業である。ログリッチにとってはブエルタは過去に3連覇した独壇場といえるレースで、前年は4連覇を目指して総合2位の位置につけていたが3週目にゴール前スプリントで激しく転倒しリタイア。レース後には普段は冷静なログリッチがぶつかった相手を名指しで非難するという、珍しく感情的になったこともあり彼にとってはトラウマレベルの出来事であったと想像される。そういう意味では、ログリッチにとっては大きな忘れ物を取りに来たような大会とも感じた。
ヴィンゲゴーにとってのブエルタは2020年に初めて出場したグランツールで、ログリッチのアシストとして総合46位で走り終えてから、今回が二度目。2021年のツールは、ポガチャルへのリベンジに燃えていたが志半ばで落車リタイアしたログリッチの代わりにポガチャルに勝ってしまう。ユンボにとって悲願のツール初優勝をもたらした。そして今年は単独エースとして臨んだツールを連覇し、現時点では全選手の中で最高の総合エースであるといっていいだろう。
そして二人が同じレースに出るのは、今回のブエルタが昨年のツール以来なのだ。同じレースを走るということは、嫌でもチーム内での序列をはっきりさせることになる。二人には信頼に基づいた師弟関係があるとはいえ、複雑な心境も容易に想像できる。少なくても外野にはレースの成績をいろいろと言われるのはしょうがないだろう。
そして史上最強レベルの山岳アシストであるセップ・クスは、ユンボでのグランツールタイトル全てに直接貢献したただ一人のアシストである。これで5大会連続のグランツールであり、エース二人にとって頼もしいアシストである。
そして迎えたブエルタ。初日のチームTTではトップタイムを出したDSMから32秒遅れの11位という、まさかの出遅れ。雨やヴィンゲゴーのメカトラなどのトラブルもあって、ここで一度歯車が狂った。上にはマス(モビスター)とレムコ(クイックステップ)がいて、二人には少しでも早く差を縮めておきたい。最初の山岳stage3ではレムコが優勝した。ヴィンゲゴーは2位で届かず、差を広げられた。
だから、チームとして仕掛けた。stage6で逃げに乗った第三の男・クスがステージ優勝を遂げて総合でも2位にあがると、stage8ではログリッチが優勝し、首位にいたレニー・マルティネスが遅れて、クスがマイヨロホを身に纏う。これでチームとしては有利になった。ライバルたちはリスク承知で攻めないといけなくなったからだ。たとえクスが遅れても、ユンボは最強のWエースを守りに使える。クスはよく働いた。もしかすると働き過ぎた。stage10の個人TTでも粘りの走りを見せて総合首位の座をキープして、勝負所の難関山岳でも脱落していくライバルたちを尻目に、そのままリーダージャージを着続けた。
ヴィンゲゴーは1週目は胃腸のトラブルのため、コンディションは上がらなかった。それで無理をせずに2週目と3週目に備えた。ログリッチはstage8を制したことでヴィンゲゴーを総合順位で上回り、stage10の個人TTでも3位と好走。ヴィンゲゴーは10位でログリッチから更に42秒遅れた。しかし、ヴィンゲゴーは目を覚ます。stage12からはヴィンゲゴーがログリッチより全て先行してゴールする。stage13の難関山岳トゥールマレーではステージ優勝し、2位クスと3位ログリッチから30秒以上タイムを削り取った。2週目を終えてまだ総合順位はログリッチが上だったが、タイム差は7秒。迎えた休息日明けのstage16の山頂フィニッシュで、ヴィンゲゴーがログリッチから1分以上速くゴールして総合順位も逆転。それはヴィンゲゴーにエースが変わったことを意味するように見えた。
そして問題のstage17、アングリルでのユンボである。前週総合優勝争いから脱落したレムコが山岳賞を目指して逃げるが、ユンボはタイム差を与えない。ハイペースのレースで人数を大きく減らしたメイン集団は、最後のアングリル登坂で勝負をかけてきたバーレーンによってバラバラになる。レムコも飲み込まれ、総合4位アユソが、5位マスも遅れて、ユンボの総合成績に割って入る可能性があるのは先頭グループではランダだけになった。ランダの総合タイムはユンボの3人から4分以上遅れている。その後はランダすら振り切ったユンボの三人はそのままゴールを目指すと思われた。総合表彰台の独占も現実味を増してきたと思った。
その時だった。クスが無線で何か話すと、加速したのはログリッチだった。ヴィンゲゴーもついていき、クスが一人で遅れていく。最終的にログリッチが1位、タイム差なしでヴィンゲゴーが2位。クスはその19秒後に猛然と加速してゴールに飛び込んだ。このスプリントは何を意味するのか。ランダに勝つためだ。1秒でも早くゴールするためだ。3位に入ればボーマスタイムの4秒がある。クスはチームメイト以外からは4分以上タイム差がある。わずか4秒のために超激坂のアングリルの山頂フィニッシュでスプリントする意味は、つまり、クスはマイヨロホが欲しいからだ!
ずっとアシストとしてログリッチとヴィンゲゴーに献身してきたクスの、あのスプリントを見て僕は泣けてきた。言葉ではチームでマイヨロホが取れれば誰でもいいと言っていた。ゴール後は穏やかに二人のエースを称えてハグをしていた。あの二人が勝てばいいではないか。クスにとってはいつものことだ。アシストとしてチームの勝利を願うならあの場面でスプリントをする必要はない。
しかし、彼はスプリントをした。たったの4秒のために。自分を置いていったヴィンゲゴーは少しでもタイム差が広がらないようにしようとログリッチの後ろでゴールをしたんだろう。このステージを終えて結果的にクスは2位ヴィンゲゴーから8秒差でマイヨロホをキープした。仮にヴィンゲゴーがログリッチに先行してゴールし、クスがスプリントをせずにランダの後ろでゴールをしていたら総合順位は逆転していた。二人のアクションは間違いなくクスから自分たちが(ヴィンゲゴーが)マイヨロホを奪うものだった。クスがキープできたのは、ランダによる間接的なアシストと、最後の猛烈なスプリントが呼び込んだ偶然に過ぎない。
あんなに必死にスプリントをするクスを僕は初めて見た。やもすると淡白にすら思えることがあるほど、冷静でクレバーで、無駄なことはしない、職人のようにアシストに徹する姿しか見たことがなかった。彼のアタックはいつも後ろからついてくる誰かのためだ。でも、あの4秒を勝ち取るためのスプリントは彼自身のためであって、二人のエースのためでも、ましてやチームのためでもない、本能のスプリント。ずっと「お兄ちゃんなんだから我慢しなさい」って言われて育った子のたった一度のわがまま、みたいな・笑。
彼の中にも持て余す獣のようなものがある。そういえば、ヴィンゲゴーが単独アタックしたstage13のトゥールマレーの最終盤でもロケットのような目の覚めるアタックをしていた。そうか、あれもヴィンゲゴーとのタイム差を少しでも小さくしたいためだったんだと気付いた。いつも従順に付き添うログリッチを置き去りにしていた。あの時から、いや得意ではない個人TTに全力で挑んでいる時から、クスは全身でマイヨロホを渇望していた。言葉にはしなくても、誰だってそんなことはわかるはずだ。僕はクスにマイヨロホをとって欲しいと思った。
ログリッチもヴィンゲゴーもどちらが勝ってもダブルツールという偉業を達成できる。当然二人とも勝ちたかった闘争心も、勝つ重圧とも常に戦っていることも理解している。だけど、勝ちたい気持ちはクスだってある。というか、今回に関して言えば、勝ちたい気持ちはクスの方が大きいと僕には思えた。あのステージの後の「本音で言えばクスにマイヨロホをとって欲しい」と言ったヴィンゲゴーよりもクスの方が勝者にふさわしいとさえ思った。それでもヴィンゲゴーはクスからタイムを奪ったのは事実で、それがチームオーダーなら報われないクスが悲しくなった。
それで、クスにマイヨロホを取らせてあげたい気持ちをX(ツイッター)にポストしたけど、多くの人からユンボ批判だと受け取られた。僕は基本的に情報発信をメインで、なるべく意見表明はしない。それでもあの時はユンボファンから冷たい目で見られたとしても「クスの勝ちたい気持ち」を言葉にしておきたかった。彼が自分で言葉にしないから。だけど、僕がSNSで目にしたのは「ログリッチとヴィンゲゴーがクスを置き去りにするのは当たり前」「ユンボは正しい」そんな意見ばかりだった。「チームの目標は何を犠牲にしても成し遂げてこそユンボ」と語っている人もいた。いや、この場合犠牲になるのはクスのマイヨロホだけでしょう。どれも裏を返せば「クスはマイヨロホを取らなくていい」という意味に受け取れた。
「二人とも本気で登ったらもっと速かった」それは僕も思った。でも、それなら何故全力で登らなかった?「少しでもタイムマージンを稼ぐのがチームとして正しい」という見方と矛盾する。いっそのことクスを完全に抜き去って欲しかったよ。他のチームにも5分くらい差をつけるくらいね。でも、結局クス一人だけを置き去りにしたステージで稼いだ19秒はクスを追い詰めただけだった。
ちなみに海外ではクスにとらせるべきという意見が多かった。同じように思うのは僕だけではないとわかって少し救われた。
── 後日談。アングリルを走った夜、チームで話し合って、クスで総合を狙おうということになったとログリッチが語った。ヴィンゲゴーは、いつも助けてくれたクスに恩返しができることが嬉しいと。レースはまだ終わっていない。もしかしたらクスが遅れるかもしれない。チーム戦略としては外部に自分たちの戦略をあからさまにすることは、いいことではないだろう。それでも、最強の二人がこのタイミングでそう言ってくれたことが尊いし、それだけでクスは報われたと思った。大げさに言えば、クスがマイヨロホを獲ることよりも、二人にそう言ってもらえたことが嬉しいんじゃないかと思った。
少なくても僕は嬉しかった。クス、マイヨロホでマドリードの表彰台に上がれることを祈ってるよ。