ロードレースみるひと

ロードレース観戦ガイドのブログ

ロードレースは“競技”か“娯楽”か

 

若い頃に野球好きの友人と一緒に試合を見た後に、酒を飲みに行った。

彼は割と極端な話をするのが好きで、「なあ、例えばだよ、全試合勝つけど観客が一人も来ないチームと、全試合負けるけど観客が満員になるチームって、どっちがいいと思う?」と、僕に尋ねてきた。

彼の贔屓のチームが負けた時の話だ。そのチームは当時セリーグでお荷物と呼ばれたりするほど弱いチームだったから少しばかりの僻みもあったと思う。彼は後者の“弱くても人気のチーム”の良さを滔々と説いた。

 

その会話を思い出したのは、プロ野球が“競技”なのか“娯楽”なのかという問い掛けだからだ。僕の答えは、当時から今も変わらないし、明確である。“競技“であり”娯楽”でもある、が答えだ。野球である以上は勝利を求めるのは当たり前だし、“プロ”野球である以上は観客を求めるのも必然なのだ。どちらが欠けてもダメだと思っている(全敗は勝負である以上確率的にはゼロではないが、勝利を目指す姿勢は必須)。ロードレースでいえば、順位を争う“競技”でもあり、観客を楽しませる“娯楽”でもある。両方ともに必要なもの。そして、その天秤のバランスはわずかに“娯楽”に傾いているのだと、僕は思う。それは、勝利よりも大切なものがレースにはあると思うからだ。

 

 

今年の終盤のレースで、そのことを象徴する3つの印象的なレースがあった。

 

ひとつめは、ブエルタ・ア・エスパーニャユンボ・ヴィスマが危なげなく総合勝利を掴み、しかもクスとヴィンゲゴーとログリッチで総合表彰台を独占するという快挙を成し遂げた。彼らは“競技”の側面では圧倒的な勝者だった。しかしブエルタはレースとしては面白くなかった、といった意見を少なからず目にした。それは多くの観客が“競技性”よりも“娯楽性”を求めたからではないだろうか。

総合優勝候補のひとりに挙げられていたレムコ・エヴェネプールは、レース半ばのstage13で総合順位を大きく落として総合争いから完全に脱落した。しかし彼は敗者だったのだろうか。彼はその後の8つのステージのうち6つのステージで逃げて、2つのステージで優勝した。更に5つのステージで逃げグループから勝者が生まれたことは、レムコの逃げが生み出したものといってもいい。総合争い脱落後の彼が魅せた果敢な走りは、自身の昨年のマイヨロホと同じくらい、もしかしたらそれ以上の価値があったと思ったのは僕だけだろうか。それ以外でもstage1のチームTTでは暗い中での走行が危険でアンフェアだったと怒りを訴え(ほんと、その通りだった)、stage3ではゴール後にスタッフとぶつかり転倒し顔から流血するなど多くの話題を提供し、エンターテイナーとしては最も活躍した選手の一人と思える。

ここで誤解を受けないように言っておきたいのは、ユンボが悪かったわけではない。彼らは勝利のために最善を尽くしたのであって、彼らには非はない。それを勝手に「レースが面白くなくなった」等と言っている観客もいただけである。同じことがいえそうなのが、先日まで賑わせていたユンボクイックステップの合併話だ。多くの否定的な意見を目にした。これ以上戦力が偏ってしまったら(合併後のチームが強くなり過ぎて)グランツールが(ロードレースが)面白く無くなる、という趣旨のようである。それはやはり、レースに“競技性”よりも“娯楽性”を観客は求めているから、と僕は感じてしまった。

余談だが、スポーツである以上、圧倒的な強者が出てくることはあり得る。例えば女子レスリングで吉田沙保里前人未到の連勝記録を達成したが、彼女の存在はレスリングをつまらなくしただろうか。ボクシングの井上尚弥の試合は面白くないのか。そんなことはない。これはロードレースという競技の持つ特性も絡んでくると思うが、説明が長くなるので別の機会にしたい。

 

ふたつめはイル・ロンバルディア。ポガチャルとログリッチとレムコのビッグネームたちの優勝争いが注目された今年の最後のモニュメントを飾るビッグレースは、ポガチャルが3連覇という偉業を達成した。しかし、レースを一番盛り上げたのは、この3人ではなかった。これが引退レースになるフランス人、ティボー・ピノだった。ゴールの少し前に“ピノ・コーナー”を作って、フランスから来た3000人を超える大応援団が陣取った。あの熱狂的な大声援といったら!悲劇を繰り返し、何度も悔し涙を流したヒーローが、ファンたちの大歓声に包まれて満面の笑みで人垣の中を走っていく姿は、優勝争いを繰り広げた誰よりも僕には眩しく見えた。レースのゴールは、グルパマで過ごした13年間の選手生活のフィニッシュでもあった。今年のジロを共に走ったモラール、ツールを一緒に走ったパシェと、二人のフランス人チームメイトを従えて、笑顔でゴールしたピノ。彼はレース後に「僕は世界王者にはなれなかったし、世界で一番強い選手ではなかったけど、世界一のファンに応援してもらえて幸せな選手生活だった」と語った。もちろんレースを走った選手たちが主役なのだが、ピノを応援していた観客たちも素晴らしい脇役で、彼らが皆幸せそうだったことも、とても印象深い。インタビューで答えていたファンの一人が、はるばる1000kmもの距離を車でかけつけて「これはピノを応援する旅なのだ」と語っていたり、あのコーナーで取材していたメディアがいつの間にかファンたちと一緒に大歓声に加わっていたり。何年か経ったあとでも“ピノの引退レース”としてあの光景を思い出すのは容易だと思うほど、僕も彼らのおかげで感動した。3連覇を達成したポガチャルはもちろん称えられるべき偉業だが、あの日37位だったピノも敗者ではなく称えられるべき偉大なライダーだった。レースはリザルトが全てではない。

 

そして三つめは、ジャパンカップだ。優勝したのは今期復活した元世界王者のルイ・コスタだ。終盤抜け出して、追走してきたエンゲルハートとマルタンをゴールスプリントで降しての勝利は見事だった。しかし、それよりもレースを盛り上げて観客の記憶に鮮烈に刻まれたのはジュリアン・アラフィリップではなかっただろうか。彼の順位を覚えているだろうか。8分26秒遅れの38位だ。“競技”で言えばルイ・コスタの優勝の方がどう考えても上である。しかし“娯楽”としては、雨でコンディション不良の中、序盤から果敢にアタックして中盤まで独走したアラフィリップに軍配があがる。前日のクリテリウムでも何度もアタックして楽しませてくれただけでなく、ロードでも危険を顧みないダウンヒルや持っている全ての力を出し尽くす走りは本当に痺れた。世界選手権を2年連続して勝ったとはいえ、ここ2年は成績が落ち込みピーク時のようなキレはなくなっているが、だからこそ自らの勝利のためではなく逃げに入りチームプレイに徹する姿は、彼のレースに対する誠実さを感じさせた。彼は自身に今できることに出し惜しみしない。あれはファンにならずにいられない。またアラフィリップの魅力はレースだけではない。少しでも多くの人にサインや写真撮影に応じる姿勢や、気品すら感じさせる物腰や振る舞い、拙い覚えたての日本語で感謝を伝えるサービス精神、全方位的に紛れもないスーパースターだった。2023年のジャパンカップは「アラフィリップが初来日した大会」として日本のロードレースファンの記憶に深く刻まれたはずだ。来てくれてほんとにありがとう。

 

 

この3つのレースでは優勝したライダーよりも、もっと存在感が強かったライダーたちがいた(主観です)。また彼らよりも強烈に記憶に残った選手は、観客の数だけいるのだと思う。そして彼らのような存在があるから、ロードレースは“娯楽”だと、僕は言い切ってしまえる。

競技性で語るなら、リザルト(順位)が全てであり、勝利が最上の価値になる。選手もチームも目指すのは一番先にゴールすることだ。しかし、勝てる選手がいるのと同時に勝つことが難しい選手やチームも存在する。アシストとしての貢献や自身の成長のために走ることもあれば、不運な落車など理不尽なトラブルに巻き込まれても最後まで走り続ける姿も、勝者に負けないくらい尊いと思うのだ。また走ることで社会に貢献しようとするチーム ノボノルディスクのような存在だってある。ロードレースには勝利でなくても、僕らが心を打たれる出来事はいくらでも存在する。だから僕は全てのレースで勝てなかった選手もリスペクトしているし、勝てなかった選手を揶揄するような態度のファンには苛立つこともある(誰かをシルバーコレクターと呼んだり、自分が望んだレース結果でないことに文句を言う人とか。某サイクル誰クルにはそんなコメントが多くて苛立つので来年からはやらない)。

僕は、ただ選手の走る姿が美しかったり、レース以外でライダーたちがスタッフや観客と戯れていたり、彼らの笑顔に癒されたり、そんな競技性以外の部分にも多くの魅力を感じる。それが《娯楽》と僕がここで呼ぶものであり、レースにおけるドラマ性や選手たちの人間性に惹かれて応援している。彼らはロボットではないし、ましてやデータではない、生身の“人間”なのだ。スポーツほど人が感情を剥き出しにするものは、世の中にそれほど多くはない。

 

ここで語った《競技性》《娯楽性》は、《スポーツ》《エンタメ》と言い換えてもいい。また、《需要》《供給》の関係性でもある。つまり《選手やチーム》《観客やメディア》の関係性だ。そうなってくると、《スポーツ》と《エンタメ》の間には《ビジネス(スポンサー・主催者や場所)》が必要になってくる。

 

観客がいなければ競技として成り立たない(選手がいなければレースは成り立たないから鶏と卵の関係に似ている)。運営する人たちや場所がないとレースは行うことはできない。これらは密接に結び合っていて、どれが欠けても成り立たなくなってしまう。

選手やチームは、観客(ファン)が自分たちを支えていることを忘れてはいけないし、その間をつなぐのが、メディアでもある。例えば、陸上で活躍した為末大氏は「プロである以上は、顧客満足のために競技をしている」と語っていた(この場合の顧客とはファンとスポンサーの両方を指すと思われる)。

この辺りはもう少し説明が必要な気がする。が、それを語りだすと長くなるので、また別の機会に…。

 

 

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この話は続きます。

これに関連して数回に分けて書いていく予定です(たぶん)。

・スポーツとして見た特徴(野蛮なスポーツ)

・ファンの在り方(楽しみ方の種類)

・ビジネスとしての特殊な構造(スポンサーの有り難さ)

(・ロードレースの発展は日本では難しい)