ロードレースみるひと

ロードレース観戦ガイドのブログ

プロトンの若き王者が、リーダーになった日。

 

今年を振り返って、僕の中で一番印象に残ったレースの話をします。

 

多くのレースを見てきて(ちゃんと数えてないけど、ハイライト含めれば200を超えるのかな)、印象深いレースは数多くある。優勝候補が存分に強さを発揮して堂々と勝ちきったり、意外な伏兵によるギリギリでの勝利や、数々の展開が生まれて終始面白かったレース、新しい戦力が躍動してロードの未来を感じられたもの、などなど。その中で、数年先に2023年を振り返った時に「あのレースがきっかけだったよね」と語られるような予感があるのです。ちなみに一番面白かったレース、興奮したレース、感動したレース、驚いたレース、興味深いレース、、は別にあります。回りくどくてすみません(笑

 

一番印象的だったレースの主役はレムコ・エヴェネプールだ。彼のファンである僕の主観による贔屓目もあるとは思う。今年レムコが勝ったレースは、2月:UAEツアー総合優勝、3月:カタルーニャのステージ2勝、4月:リエージュ〜バストーニュ〜リエージュ、5月:ジロ・デ・イタリアのステージ2勝、6月:ツール・ド・スイスのステージ優勝/ベルギー選手権RR、7月:サンセバスティアン、8月:世界選手権ITT、9月:ブエルタのステージ3勝で、合計13勝をあげた。そのうちワールドツアーは11勝で、レムコが一番勝利数が多い(年間勝利数の1位フィリプセンは19勝/WT8勝、2位のポガチャルは17勝/WT10勝)。残りの二つもベルギー選手権RRと世界選手権ITTで、とにかくビッグレースでの、ここぞという時の集中力は凄まじい。それぞれのレースのシーンが思い浮かぶ人も多いと思う。

 

僕が一番印象に残っているレースは、ツール・ド・スイスだ。その理由は、この勝利がレムコはただ強い選手というだけではなく、彼が新しい時代のリーダーになると力強く宣言をした、特別なレースだと感じたからだ。

 

レースがあったのは6月17日。スタート地で飛ばした白い鳩がスイスの青空に舞っていった。それは、2日前の落車で命を失ったジーノ・メイダーを弔うためだった。

そうなのだ。僕はジーノの事故を忘れるわけにはいかない。

6月15日、stage5の終盤の下りのコーナーで転落し救急搬送されたジーノは、翌16日に帰らぬ人になった。そのためstage6はパレード走行になり、全ロードレース関係者は深い悲しみの1日を過ごした。辺りをはばからず号泣していた同郷のキュングの涙も忘れられない。大会主催者はジーノの遺族と協議をし、遺族の意思を尊重しレース続行を決定した。stage7は、残り25kmまで集団走行する実質パレードラン。ジーノが所属していたバーレーン・ヴィクトリアスは、その日レースを撤退した。他にも多くの選手がショックを受けて、不参加を選んだチームや選手も少なくない中で、レースを走り続けることを選んだ選手たちによる特別な状況でのレースだ。

残り25kmを過ぎて最後の山岳を迎えた所で、ユンボのファンアールトが集団の先頭を牽引し、残り17kmに差し掛かったところで集団から飛び出したのが虹色のジャージだった。このステージはゴール地点でのタイム計測はされない。つまり、彼が勝っても総合成績には何も影響がない(勝っても得がない)。この勝利は自分のためではなく、純粋にジーノに捧げるためだけの独走劇なのだ。レムコは、そのジャージでスイスの地に虹を描いて、何度も天に向かって指差した後、胸に手を当ててゴールした。

 

「この勝利を天国にいるジーノに捧げる。僕は彼の家族のために今日のレースを走った。何も変わらないかもしれないけど、僕らが皆、彼のことを思っている。そのことを知ってもらいたい」

そうなのだ。こういう男なのだ。普段のステージレースでは早々にリーダージャージを着てしまったりするのに、スイスはジロで罹ったCovjd19からの復帰レースでまだ本調子ではなく、アルカンシェルのままだったのだ。ジーノへ敬意を表すために世界王者の証に包まれた彼が勝つことは、とても相応しいと思った。彼も全選手を代表する自負もあっただろうし、2位でフィニッシュしたファンアールトや他の選手たちも心の中でレムコの勝利を認めていたのだと思う。レムコは、前日のレース前に会場に来たジーノのお母さんにハグしながら声をかけていた。自らも3年前にダウンヒルからの転落事故で9ヶ月間もリハビリを過ごす経験もしていたから、人一倍思うところはあったに違いない。誰もが苦しみの中にいても自分の役目を全うする。リーダーとはそんな責任感と強靭なメンタルを兼ね備えているものだ。

レムコが誰かのために勝ったのはこれが初めてではない。3年前のツール・ド・ポローニュでの50kmの独走勝利も、その2日前にゴールスプリントで事故に遭い、救急搬送されて生死の境を彷徨っていたヤコブセンのための勝利だった。あの時はゴールするときに背中のポケットに忍ばせていたヤコブセンのゼッケンを掲げて泣いていた。

 

このスイスのレースで、レムコはプロトンの、つまりロードレース界の新しいリーダーになる器なのだと思った。きっと数年後には立派なリーダーになる。

レムコはかなり自己主張の強いタイプだ。時に我儘だの傲慢だのと言われたり、若いのに生意気だと嫌う人たちもいる。年齢なんて、ただの数字なのに。彼はここまで実績で黙らせようとしてきたし、自転車大国のベルギー選手権でロードレースと個人TTで王者になり、世界選手権でも両方のタイトルを取った史上初の選手である。

 

リーダーに資質には、いくつか条件があると思う。まずはレースに強く勝てること。集団の先頭に立つ自信と引っ張っていく責任感があること。知性があり理解力や判断力に優れていること。他者を思いやる想像力が備わっていること。組織を高みに導く志や行動力があること。大勢の荒くれ者たちを束ねるには時には強引さも必要であり、ボスには面倒見の良さも同時に必要なのだ。レムコには誰もが若くして親分気質を感じるのではないか。サッカーのユースベルギー代表でキャプテンをしていたのは有名な話だし、レースの時にはいつだってウルフパックの中心で堂々と年上のアシストたちに指示をしている。

ポガチャルは彼よりも強いライダーである。しかしこの最強のライダーは、選手たちを導く存在にはなり得ない。彼には自由が似合う。世界最高峰のレース、ツールではヴィンゲゴーに敵わないだろうし、人格者としてはログリッチの方が上だろう。人気ではファンアールトやマチューなど、すごいライダーたちは多く存在しているが、僕はレムコに誰よりも強烈なリーダーシップを感じている。

 

数年前にサガンが「プロトンにはリーダーがいなくなった」と語っていた。例えばアームストロングのような強烈な個性とリーダーシップ(いい意味でも悪い意味でも)を持っていた時代とは大きく様変わりしていると思う。そんな時代の新しいリーダーを務めることができるのは、レムコしかいないと思っている。

 

 

レムコは今年のブエルタが終わった後、モロッコ地震の被災者を支援する寄付活動をパートナーのオウミさんと一緒に始めた。募金に協力した人たちにサインしたジャージやヘルメットなどをプレゼントするという。他にも以前から自発的に社会貢献活動を継続して行っている。あの若さでなかなかできることではない。彼はロードレースで得た様々なものを、他人のために還元する気持ちを持っている。ただレースに強いだけではなく、そういう姿勢や行動力もリーダーには相応しいと思う。

 

2023年ツール・ド・スイス、stage7でレムコがジーノに捧げた勝利。

同じ日にベルギーではヤコブセンが、スロベニアではモホリッチがジーノに勝利を捧げた。彼らも含めて、僕はずっと記憶しておきたいと思っている。

 

 

 

◎忘れてはいけないジーノへの追悼記事

 

◎レムコについて過去にポガチャルと比較した記事

jamride.hateblo.jp